ゴルフ全米オープン/世界最高峰の技が集結する場所とは?

1895年に第1回が開催されましたが、その時を知る者のない遠く古い歴史を誇る全米オープンは、世界四大メジャーの一つでありコースの難易度は世界一と言われます。

激闘の舞台となった場所やゴルフコースの特徴、幾多のドラマを生んだ名勝負の記録、そして日本人の果敢な挑戦の歴史についても紹介します。

ゴルフ全米オープンの開催場所やコースの特徴

正式名称は『全米オープン選手権』で毎年6月中旬にアメリカで開催されます。

開催場所は5開催先まで決まっており、コース作りに長い時間をかけて準備する重要な大会であり、予選会を勝ち抜いたアマも参加できるオープン大会です。

四大メジャーの中でも200万ドルを超える最高の賞金額の大会であり、世界中から集まるゴルファーが最高難度のコースに、体力・技術・精神力の全てをかけて戦います。

コース設定の特徴は、狭く曲がりくねったフェアウェイに膝まで埋まる深いラフ、そして硬く速いグリーンが特徴です。

ファーストカットが1.5インチ、プライマリーラフが3~4インチ、セカンダリーラフが6インチと厳格な基準をもとにコースが作られます。

そこで優勝スコアをイーブンパーに設定する、ジリジリするような攻防が魅力であり、力のある者だけが勝つ大会と言われています。

四日間のストロークプレーで行われる全米オープンは、プレーオフになった場合、翌日に18ホールのラウンドによって勝者を決める昔ながらのタフなルールでも知られます。

参考までに全米プロとマスターズのプレーオフは通常のサドンデス方式で、全英オープンは4ホールのストロークプレーの合計スコアで優勝者を決めています。

2009年の全英オープンで59歳のトム・ワトソンが4ホールのプレーオフで敗れたのは、多くの人の記憶に残っています。

全米オープンゴルフの有名な開催場所

全米オープンの開催場所の決定は難しいコース設定が基本です。

全米で一番難しいコース作りを目指し、1927年から2016年の大会まで過去に9回の開催場所となったオークモント・カントリークラブは多くのトッププロを悩ませてきました。

ミスショットを許さない基本理念は、200個を超すバンカーの中に、長イスが並んだようなチャーチ・ピューズ、別名教会の腰掛けと呼ばれる名物バンカーを生みました。

そんなまぐれ優勝を許さない設計は、全米オープンコース作りの基本となっています。

またバルタスロール・ゴルフクラブは、過去に7回開催の名門コースで、青木功とジャック・ニクラウスの激闘で知られるペンシルベニア州ニューアークにあるゴルフ場です。

そしてペブルビーチ・ゴルフリンクスは世界中のゴルファーが憧れる圧倒的な景観で知られるゴルフコースですが、全米オープンでも5回使用され、強烈な印象を残しています。

7番の106ヤードのパー3は、風の向きによっては5番アイアンを持つほどの風のホール、8番ホールの崖から崖へ放つショットは悪魔に魅入られたような高揚感を運びます。

あのジャック・ニクラウスに「生涯で一度だけスイングが許されるなら、迷わず8番ホールのセカンドショットを選ぶ」とまで言わせたゴルファーの夢が凝縮した場所です。

全米オープンゴルフ「ニクラウス対青木」激闘の場所

俗にバルタスロールの死闘と呼ばれる全米オープン史にその名を刻む戦いは、1980年にバルタスロール・ゴルフクラブのローワーコースで開幕しました。

初日からジャック・ニクラウスと同組になった青木功は、予選二日を終わってニクラウスが-6、青木が-4の2打差のまま決勝ラウンドへ同組のまま進みます。

三日間68で回った青木とニクラウスが並んで最終日を迎えます。

全米オープン過去3回の優勝を誇るニクラウスに青木も一歩も引かない激闘は続き、バンカーやアプローチからパーを拾ってくる青木の粘りが際立つラウンドとなります。

この中継を朝にかけて観戦して、ひょっとしたら日本人の初メジャー獲得と思った人も多く、タイトルに一瞬手がかかったと思える記憶に残る時間でした。

青木功が魅せるアプローチやパッテイング技術は、目の肥えたアメリカのパトロンの度肝を抜く、まさに「オリエンタルマジック」と言わしめる高度な技でした。

その後の青木功はハワイアンオープンの優勝や、後年はアメリカのシニアツアーで往年の名プレーヤーと渡り合う楽しいプレーを見せてくれました。

2004年に日本人初の世界ゴルフ殿堂入りを果たしましたが、激闘の四日間、ニクラウスの4枚のスコアカードには、Isao Aokiのアテストがこの場所に残されています。

全米オープンゴルフを連覇したビッグネームと時代背景

1895年の第1回全米オープン選手権からの黎明期、1903年から1905年まで3連覇をして通算4回優勝したウイリー・アンダーソンは、スコットランド移民として活躍しました。

まだ賞金も少額でグリーンキーパーをしながら稼ぐ時代ながら、プロゴルファーの基本スタイルとなったプレーヤーと言われ、わずか32歳で亡くなったことが惜しまれます。

1923年から引退する1930年までに全米オープンを4度制覇したボビー・ジョーンズは、米国のゴルフレベルを本場の英国と対等にした功労者でもあります。

アマチュアを貫きながら当時のグランドスラムを達成し、「マスターズ」の創設や開催場所となるコース設計者としても知られる「球聖」にふさわしい足跡を残しました。

その後の4度制覇は1953年のベン・ホーガンと1980年のジャック・ニクラウスが最後です。

あのタイガー・ウッズも2008年の3勝目から優勝が遠くなりました。

ベン・ホーガンやアーノルド・パーマーの登場により、ゴルフ人口の拡大が進み、リー・トレビノやゲーリー・プレーヤーなどの全盛期を迎えます。

タイガー・ウッズの登場からゴルフギアの発達やボールの進化が急激に進み、さらに飛距離をアドバンテージとする時代に突入しています。

そして全米オープンのコース設定は、280ヤードのパー3や500ヤードを超えるパー4が当たり前のようになり、歯止めのかからない状態は続きます。

日本人ゴルファーが悲願のメジャー制覇するために、このコース設定を克服するフィジカル・メンタル両面の強化も進んでいるのでしょうか。

ゴルフ全米オープンの開催コースをもっと紹介

シネコックヒルズゴルフクラブは、2004年の全米オープンで2回目の優勝を飾ったレティーフ・グーセンがフィル・ミケルソンを2打差振り切ったコースです。

2018年にはブルックス・ケプカが2連覇を果たし、全米オープンでは過去に5回開催の人気コースで2026年の開催も決まっています。

トーリーパインズゴルフコースは、カリフォルニア州のサンディエゴにあるラ・ホーヤビーチ沿いにある市営のコースです。

2008年にタイガー・ウッズがプレーオフでメディエイトを破り、自身3度目の全米オープンと、四大メジャーを3度づつ勝つ、トリプルグランドスラムを達成した大会でした。

オリンピッククラブ・レイクコースは、サンフランシスコにあるゴルフコースで、2012年までに5回全米オープンの開催場所となりました。

元は歴史あるアスレチック・クラブだったそうですが、経営難のレイクコースを買い取り再生したレイクコースがメジャーの舞台になっています。

1966年の優勝者ビリー・キャスパーや1998年のリー・ジャンセンなど渋い名前が並び、2012年には、混戦を抜け出したウェブ・シンプソンが初優勝しました。

エリンヒルズゴルフコースは、2017年のブルックス・ケプカが松山英樹らを4打差振り切って初優勝をした場所です。

2006年に開場したばかりのパブリックコースで、ウィスコンシン州のミルウォーキーにあり、木が全くない距離の長いコースとして知られます。

全米オープンゴルフでの日本人の挑戦

全米オープンの日本人の挑戦は1932年の宮本留吉から始まります。

結果は予選落ちでしたが、優勝したのは史上初めてキャリア・グランドスラムを達成したジーン・サラゼンでした。

単身でアメリカ国土を車で渡り歩き、腕試しの場所を求める宮本留吉は、その前年には引退していたボビー・ジョーンズとエキシビジョンで戦っています。

160cm60㎏の小兵の中村が遜色ないティーショットを放つのを見て、ボビーが5ドルの賭けゴルフを誘ったそうです。

今でも語り草になる「ボビー・ジョーンズと握った男」として、また日本ゴルフ界の黎明期を盛り上げた中村留吉の功績は非常に大きいと言えます。

その後は先の大戦があり、日本人の挑戦は途絶えますが、1979年の青木功が挑戦した第79回から始まり、翌年にはあのジャック・ニクラウスとの激闘を迎えます。

以降、中島常幸や尾崎将司など日本のトップクラスが何度も挑戦し入賞を果たすも、悲願のメジャー制覇は未だに叶わないのが現状です。

丸山茂樹の4位や2017年には松山英樹が2位となり、期待感は高まります。

1年ごとにたった一人だけが手にできる全米オープン優勝の称号を目指し、世界中のゴルファーがすべてをかけて挑む舞台が全米オープン選手権です。

見る側のアマチュアゴルファーの目線でも、熱い思いで観戦できる悲願の戦いです。

全米オープンゴルフの歴史ある場所に思いを馳せて

普段の生活の中では、小さい球を棒切れで叩く遊びのどこが面白いのか、関わらない人たちには奇異にも映るゴルフと言う遊びですが、一度やりだすと止まらない。

そこには礼儀や思いやり、人として守るべきすべてのフェアな精神が宿っています。

そんな歴史を刻む場所を訪ねて思い切りクラブを振りたいと思うのも当然です。

ぜひ機会を作って全米オープンの開催場所も訪ねてください。